2011年03月14日

福島へ・・・

この日記を読んで、不愉快な気持ちになる方も居るかもしれません

正直、こんな事を書いて良いのか?とも思いましたが、
実際に「被害」を見た私が少しでも何かの形で誰かの役に立てれば・・・
と思い、簡単に要約して書きます。


今回福島へ行くメンバーは、当初は私と父だったのですが、
体力のあるメンバーが良いという事で、私といとこの裕一

そして「お前らだけじゃとっても心配だから!」という事で
3UPの三上さんも同行してくれる事になりました。
考えられる用意を万全にし、1時間の仮眠を取り、
交通量の少ない夜中に出発しました。

私の父方の親戚は全て原子力発電所の
10K圏内に生活しておりました。
父の実家は、私も小さな頃かつて生活した
「大熊町」第一原子力発電所から2キロで、
発電所へよく遊びに行ったものです。

大地震の後、急に迎えのバスが来て、
それぞれ猶予もなく「何も持たずに」方々の避難場所へ行ったらしいです
家のカギも閉めず、ペットもそのまま置き去り。

私の近い親族で3ヶ所、少し遠い親族となると・・・
正直大勢過ぎて・・・今の私達には・・・その力がない。

もちろん、家族はバラバラで、
避難所もバラバラ。本当に身体一つ。
津波等の被害で行方不明の方が沢山いらっしゃる中で、
命があるだけでも幸せなのだと思いますが
親族の私達に出来る事の最低限&最大限として・・・
今回のような「救助」を実行しました

ドリフトを通じて、沢山の方々に頂いた情報を基に、
安全な大きな道路を選んで北上しました

主に国道4号線を進みます。
所々道路の端が崩れていたり、大きな亀裂がありましたが
主要道路という事で、最低限の手直しがされていて、
現地の方の大切な主要道路となっていました。

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ガソリンの問題は深刻で、渋滞の主な原因が
「ガソリンスタンドへ並ぶ車両の列」で車線がつぶれ
片側通行になっている。という感じでした。

明るくなると、その列は物凄い長さになり、
ほとんど4号線は動かないほどでした。

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よそ者の私達が、被災地の現地の物資を消費しない事を心掛けましたが
休憩を兼ねて寄ったコンビニは、
予想を上回るほどの物資不足で、本当に「何も無い」

断水被害で水、トイレも使えない。
停電でお休み。

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6:00を過ぎて あまりにも動かなくなった国道4号線
現地の方が通る「町道」に入りました。

道路の陥没は、至る所で起きていて、
見るも無残な光景が広がっています。
朝早くから、壊れた塀や家を修復する人々の姿が見えました。
給水車に並ぶ人達。 臨時で役所の前で売られる食料に並ぶ人達。目を背けたくなるような現実です。

7時間で、あぶくま洞近くの避難場所の体育館へ到着
従妹のやっちゃん夫婦と小さな子供2名の合計4名+4名の8名と出会えました。

TVで見ていた、本当の避難生活。
事態を飲み込めずに走り回る子供達や、
泣きじゃくる子供達、不安に飲み込まれそうな親、老人の方々

1人1〜2枚の毛布の支給。
食料はオムスビが1日1〜2個、救援物資のジュースがありました。

トイレを借りました。
ここは、水が出て電気がある「恵まれた所」だそうです。
最低限のトイレットペーパーや、歯磨き粉、石鹸、生理用品、オムツを目にしました。

この避難所に居る人の名簿に「移動」する旨の手続きがあります。
移動先の住所や連絡先を記入して、避難所を出ます。

2〜30分の距離で転々とある次の避難所へ向かいます。

最後の場所は「三春湖」の中にある学校。身体の悪い叔父と叔母の2名。
震災から4日。一目見て、かなりの心労だという事が伺えました。
あの時、ここ、三春湖でのんびりバス釣りをした同じ場所とは思えません
青森に行く途中にも寄ったんだよなぁ〜

ここの避難所は、これからまだまだ収容があるらしく、少し離れた場所に車を止めましたが
叔父があまり歩けないので、配慮していただき車を校庭に入れさせてくれました。
何人か、このように「移動」する方が居て、同じく手続きを済ませて、現地の方々をお別れです。

この時、また第3号機の爆発がありました。 

遠くに「大きな雲」が見えました。
ヘリコプターの飛び交う音・・・。
 
後から、水素爆発では無い事実が告げられましたね
原子炉建屋爆発のメルトダウン
結構・・・近くで浴びちゃったみたいだね

地元ラジオから聞こえる「叫び」に似た緊迫感溢れるラジオ放送
「窓を開けないで下さい!外に出ないで下さい!
車の方は内気循環にして下さい!」
永遠に、叫び声は続いた

私達は外で、もはやどうする事も出来ずに、
ただただ学校のグランドでお別れを惜しむ子供達や、
子供のお母さん方との挨拶を見ていました。
現実なのに、現実じゃないみたいな空間

今日も、明日も、明後日も・・・
この場所に非難している方々の不安な顔をしっかりと見ました。

海沿いの方々の津波の被害や、土砂崩れなどの被害、
ココよりもっと大変な方々も大勢いらっしゃる事を思うと
私はなんて恵まれているのだろう・・・。

なんて小さな無力な人間なんだ・・・と思ってしまいます。

総勢10名(本当はもっと多く乗せたいのですが、車の関係と、移動先の住居場所の都合)で
私達を含む13名で長い帰路へ。

約10時間で無事に埼玉へ戻りましたが、
3UPや協力してくださった方々のお陰で
私の親族がこちらへ来れました。

もしかしたら・・・故郷へ戻れる日が来ないかもしれない。という不安
皆が同じ気持ちだと思います。

埼玉に来た親族が「救われた」訳では有りません。
生まれ育った「故郷」が、早く復興し「普通の生活」に戻る事
これが、一番の願いです


私は「原子力発電所」の方の方々の今の非難生活のほんの一瞬だけ見てきました。

これまで、電気と言う当たり前の恩恵を受けてきた私達。そして今の現実
本当に、皆の協力が必要なんだと切実に思いました。

私達に出来る事、無いと思っていましたが「節電」「節約」全ての人が出来る「支援」です。
どうか、そのちょっとの気持ちを・・・。 ご協力をお願いいたします。

現地に残っている方々の身体も本当に心配です。
私の従妹は消防団、看護師、役所に勤めていますので、
こちら埼玉に非難するわけにはいきません。
「任務」として現地に残っている方の「苦労」も計り知れません。

私達に出来る「小さな事」を本当に考えるべきだと思います。



人気ブログランキングへ この日記で、伝えられる事もあるか?と思って書きました。
posted by 3UPオバちゃん at 00:00| 自分・家族ネタ